2018年7月14日

卓越した人物は、どんな運命に対しても少しも変わらない気迫と威厳を具えている(マキァヴェッリ)


「われらの歴史家リウィウスは、カミルスの言動に関して色々とすばらしいことを書き記している中で、ことにこの人物がどんな風格を具えていたかを示すものとして、カミルス自身の口からこう言わせている。


『独裁官(ディクタトル)になったことで特に勇気が出るものではなく、国外追放になったからといってくじけもしなかった』と。
 
 この言葉から、偉大な人間は、どんな環境に置かれても常に変わらないことが伺い知れる。 例えば、運命が人を高い地位につかせたり、あるいはしいたげたりすることがあっても、 彼らは泰然として変わらず、常に不屈の心を持ち続ける。彼らの生活態度にもそれが反映されており、そのため、運命は彼らには何らの影響も残さなかったと誰の目にも映る。

 他方、弱い人間はこれとは正反対の態度になる。彼らは幸運に恵まれると、得意がり、 有頂天になる。幸運はすべて、ありもしない自分の実力のおかげだと言い張る。こうして、彼らは周囲の人びとから、鼻もちならない存在になり、憎まれるようになる。そしてまもなく、運命の逆転にみまわれてしまう。彼らの表情にはありありとそのことが表われ、とたんにうってかわって弱みに沈んで行き、卑怯な卑屈な人間に成り下がる。」

マキァヴェッリ『ディスコルシ(ローマ史論)』p.605、「卓越した人物は、どんな運命に対しても少しも変わらない気迫と威厳を具えている」の項より。


マキァヴェッリの著作では、「フォルトゥーナ(運命、運命の女神)」が人間に与える影響の大きさがしばしば指摘される。フォルトゥーナ(Fortuna)は、英語で幸運を指す「Fortune」と同根の言葉で、運命や幸運そのものを指し、またそれを司る女神をも指す。最後に「-a」がつく言葉は、あちらの言葉では女性である。

運命が女性である、ということは当時の女性観から次のような意味を持つ。彼女は、常に気まぐれで特定のものをえこひいきし、弱い者には冷淡で強い者を好み、時には嫉妬心から他人をいじめ、自らの存在が無視されていると感じたらヒステリーを起こす。運命はそのような感情的な存在と捉えられていた。

ところで、なぜ女性自体がこのような感情的な存在として捉えられていたかと言えば、女性が男性に一段劣る存在であると考えられていたからだ。アリストテレス以来、高貴なる人間を人間たらしめる性質は理性的であることで、逆に、低俗な動物は感情的であり理性的にはなりえないとされていた。ここから、人間=理性的、動物=感情的の図式が出来上がり、男性に一段劣る存在である女性は、精神の面で男性よりは動物に近く、感情的であるとされてきた。

運命は女性であるが、同時に神でもある。女性であるから感情的であるが、神であるから人間はそれに逆らえない。だからといって、女性にチヤホヤされたときに有頂天になり、ヒステリーを起こしたときは自分もヒステリーを起こすような、「神である女性」に精神まで支配されたような行動をとるのは、人間(当時の人のいう人間とは、成人男性のことだ!)としては、望ましくない。

卓越した人間の高貴な精神は理性的かつ自由なもので、それは神たる女性によっても支配されない。そういう強い人間であることが、望ましい。つきなみだが、そういうことをマキァヴェッリも言いたかったのだと思う。それは、人間の営みである政治を、神の支配下であった道徳から切り離そうとしたマキァヴェッリらしい考えだと思う。

また、運命に対してぶれない態度をマキァヴェッリが非常に称賛するのは、彼がその逆のブレブレの人間だったからということもあるだろう。(以下、ほぼ記憶を頼りに書き連ねているので、何か不正確なところがあるかもしれない)

彼の人生は波乱に満ちている。ラテン語を教えていたぐらいのパッとしない彼が、政変による人材枯渇の影響とコネで、フィレンツェという大国の重職にいきなり就いたのは、28歳の時である。そこから、彼は持ち前の有能さで圧倒的な仕事量をこなし成果を出し、周囲からの高い評価と数々のポストと大きな権限を得た。

しかし、43歳で彼はメディチ家による政変により、とつぜん失職してしまう。政変によってクビにされるのは当時の公務員の常とはいえ、この頃のマキァヴェッリは政変があっても「自分がいないと仕事が回らないから、自分だけは首にされないだろう」と高をくくっていた。実際、それまでも多少の政変があっても、彼はその有能さから地位を保っていた。そのため、政変後も逃げるそぶりを見せずいつも通り庁舎に出勤し、政変の呼び出しにも素直に応じるなど、舐め切った態度をとっていた。

ところが、有能すぎて重要なポストを抱え過ぎていたということが、この時には逆に仇となり、メディチ家の息のかかった人間に彼のポストを握らせ支配を固めるために、マキァヴェッリは首にされ、牢屋に入れられた。

その後、保釈金や仕事の引継ぎ(仕事の引継ぎが条件となるぐらい、彼なしでは回らないようになっていたのだろう)などを条件に牢屋から釈放され、就職活動を始めるも、ここで今までの調子のよい運命によって培われた彼の高慢さが発揮される。有能な中年にありがちなことだが、「俺ぐらい有能なら、再就職もすぐ決まるだろう」といった態度で、彼は就職活動を始めた。教皇庁の友人に対して、最初は「ポストに空きがあったら、採用されてやってもいい」などと舐めた手紙を送りつけていたほどだ。しかし、彼が方々に就職先を探しても、メディチ家と対立したいわくつきの無職を雇う組織は、存在しなかった。

彼の書いた手紙からうかがい知れることだが、就職先が決まらずに月日が経つにつれ、彼はどんどん卑屈になっていった。舐めた手紙を送りつけていた教皇庁の友人に対しては「以前手紙を送りましたが、いかがですか?お手紙待ってます」とやや低姿勢で就職先のあっせんを催促するようになり、最後には「どんな低い地位の仕事でもいいので働かせてください。家族もひもじい生活をしているので、どうかお願いします」と懇願するようになっていった。それでも彼の再就職はやはり決まらなかった。

そうなると、人間のとる行動は不思議なことに今と同じだ。無職おじさんは「暇を持て余した政治おじさん」と化した。つまり、政治的なご意見を書き連ねるようになった。当時はSNSがないため、それは手紙の文中に発揮された。教皇庁の友人に対しても、就職あっせんの催促とともに政治的な意見を垂れ流すようになった。そして、何か月もするとその友人もいいかげんに返信がめんどくさくなって、「就職先は用意できないし、コンクラーベ(教皇庁の選挙)で忙しいからちょっと控えてくれ」と彼を見放すようになった。

その手紙にマキァヴェッリは大いに傷ついたらしい。「就職をあきらめて、田舎で余生を送る」などと病み手紙を残している。このころには、運命に動じて彼の生活態度はかなりすさみ、昼間に近所の酒場で近所のひとと酒を飲んでは、トランプを使った賭博に興じていたらしい。

しかし、運命は気まぐれなもので、彼が友人にあてた手紙が届く前に事態が急変する。それは、フランスが宿敵だったスペインと同盟する動きを見せたことで、その前代未聞の事態に、例の友人は、フランスとの外交の経験もあって見識が深いマキァヴェッリに意見を乞うたのだ。

その手紙を受け取り、「彼が自分の意見を求めている=再就職ができそうだ」と勘違いしたマキァヴェッリの喜びようは、それはそれは凄いものだったらしい。その手紙への返信の草稿が残っているが、その文頭には「イエス、マリア」という決まり文句(現代日本でいう「拝啓」みたいなもの)が置かれている。キリスト教を嫌っていたマキァヴェッリは、私信でその言葉を用いることを避けており、その決まり文句を使った彼の手紙は数通しか残っていないそうだ。しかし、手紙の草稿ではその言葉が使われており、文面も手紙を受け取った嬉しさや神への感謝があらわれている。これは推測だが、宗教嫌いの彼でも「イエズス、マリーア!」と神に感謝したくなるぐらい、嬉しかったのだろう。

ただ、そこには落とし穴があった。教皇庁の友人が彼にあてた手紙の最後の方に「これはあくまで私的なお手紙で、写しは作らないよ」ということを意味する文が記してあった。今のように証拠があちらこちらに残るでもない当時、公式な手紙を送る際にはかならず写しをとっておくものだ。そして、もし、その友人がマキァヴェッリに就職の世話をしてやるために彼の意見を聞いているのなら、「こういう手紙に対して、こういう優れた意見が言える見識高い人間です」ということを証明するために、当然写しを作っておくものである。それが無いということは就職の世話をする気はない、ということである。

喜色に満ちた草稿を途中まで書いた後、マキァヴェッリも気づいたのか、最初の喜色に満ちた草稿は破棄され、送られることはなかった。その代わり、冷静で喜びが感じられない冷たい手紙(もちろん、イエスマリアの言葉はない)を書き、友人への返信とした。それでも、彼はその手紙によって政治への高い見識という自分の長所を自覚し、その長所をつかって公務員としての再就職をもくろんだようで、その手紙を受け取ったことが、かの有名な再就職のための論文『君主論』に繋がっていくことになる。

その後もマキァヴェッリの人生は二転三転した。これによって再就職が叶うと自信満々だった『君主論』はろくに読まれもしなかったために再就職もできず、かと思えば著作家としての才能を開花させて古典オペラのマンドラゴラを書いたり、共和主義者の青年たちのサークルで先生として慕われたり、元上司からの良い条件の再就職の話を蹴ったり、教え子たちが無謀なクーデターで若くして散って嫌疑をかけられたりと、彼は浮いたり沈んだりの人生を味わった。そこでもお調子者の彼は、気をよくして高慢になったり、落ち込んで卑屈で迷惑な人間になったものと思われる。

「卓越した人物は、どんな運命に対しても少しも変わらない気迫と威厳を具えている」、不動の精神を持つ人間への敬意は、著者であるマキァヴェッリの運命に振り回される弱さの自覚から来たものでも、あるのだろう。


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