2018年5月13日

吉田松陰が品川弥二郎らにあてた手紙の一節(現代語訳)


今年の大河ドラマのテーマは「西郷どん」らしいですね。当然、西郷どんに強く影響を与えた吉田松陰にも焦点があてられているでしょうが、どんな描かれ方をしているのでしょうか。よのひとが「吉田松陰さんスゲー!俺も命を懸けて革命しなきゃ!」と思う内容になっているんでしょうか。まぁそれはあり得ませんが、もしそうだったら愉快なんですけどね。

それで、その話題で思い出したので、吉田松陰が獄中から品川弥二郎らにあてた手紙の一節を雑に現代語訳。『維新史料第八編』の一部を『革命哲学としての陽明学』から孫引き。




・現代語訳
死ぬ覚悟ができないというのは、余りにも愚かだから、詳しく言おう。17、18の歳での死が惜しいのならば、30での死も惜しいだろうし、80や90になっても、これで十分だと言うことはないだろう。虫のように半年の命であっても、これだけで短いとは言えないし、松や柏のように数百年の命でも、これだけで長いとは言えない。天地の悠久の長さと比べれば、松や柏もすぐに死んでしまう蠅のようなものだ。しかし、伯夷のような聖人の名声は、彼の生きた周の時代から漢、唐、宋、明の時代を経て、清の時代に至っても未だに消えてはいない。もし当時、彼が太公望に恩を感じて西山で餓死することがなければ、100歳まで生きたとしても短命だったと言うべきだろう。はたして何年生きれば気が済むのか。生きる目標もあるものか。(300年以上生きたとされる)浦島太郎(*)も今は死人だ。人生わずか50年(*)、70年生きることは古来よりまれだ(*)。何か気が晴れるようなことをやって死ななければ、成仏はできないぞ。

*…浦島武内=浦島太郎=武内宿禰。
*…「敦盛」。信長に関連して有名。
*…人生七十古来稀。古稀の由来。杜甫『曲江』。

・原文(というより、本に載ってる文)
死生の悟が開けぬと云ふは、余り至愚故、詳に云はん、十七八の死が惜しければ、三十の死も惜しし、八九十百になりても、是れで足りたと云ふことなし、草虫水虫の如く半年の命のものあり、是れを以て短しとせず、松柏の如く数百年の命のものあり、是れを以て長しとせず、天地の悠久に比せば、松柏も一時蠅なり、只伯夷などの如き人は周より漢唐宋明を経、清に至りて未だ滅せず、若し当時太公望の恩に感じて西山に餓死せずば、百迄死せずとも短命と云ふべし、何年限り生きたれば、気が済むことか、前の目あてもあることか、浦島武内も今は死人なり、人間僅か五十年、人生七十古来稀、何か腹のいえる様な事を遣りて死なねば、成仏は出来ぬぞ


吉田松陰をたたえている人、死ぬ覚悟はできてますか?「死生の悟が開けぬと云ふは、余り至愚」って松陰先生もおっしゃってますよ?







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