2016年2月10日

『真田丸』が放送されていたので、真田家で天下統一した。(戦国史)

 三谷幸喜脚本、堺雅人主演などで話題の大河ドラマ『真田丸』。戦国時代の真田家を扱った大河ドラマが人気なので、どうせなのでこれに合わせて真田家で乱世を統一してみた。



 戦国時代を扱ったフリゲーの『戦国史』SE版サンプルシナリオver2.0の真田家でプレイする。クリア目標は真田家で天下を獲ること。


石高2.5万石、城数1、武田家に臣従

 Wikiを見ると真田家の難易度はA-(http://www46.atwiki.jp/sengokusi/pages/19.html)。戦国史の中でかなり上位の難しさだ。それもそのはず真田家は吹けば飛ぶ弱小大名、武将数はたった2人で、武田家に臣従していて外交権は無い。また、領地も1城2.5万国で周囲の城とのアクセスが悪く、領地を広げるには都合が悪い。さらに、巨大勢力の武田として接しており、将来的に北条、上杉とも領地を接することになる。難しい位置である。足利将軍家で日本を統一するぐらいには難しい。

 この状況を変えるには、武田家を裏切って領地を拡大する他ない。臣従状態では他城を攻め取ってもその城は主家のものになってしまうからだ。武田家が村上家に出兵して小諸城がガラ空きになったところを見計らい、独立。


 小諸城攻め中に武田の増援が来てしまったことで2回ほど滅亡し、裏で東の吾妻斎藤家の岩櫃城を占領する方針で切り替えたりと試行錯誤しつつ、5回目の試行の後にようやく小諸城攻略に成功、丸一年(12ターン)かけて、8万石の大名に出世した。



 さらに、武田家の攻略中だった砥石城を横からかっさらって勢力を拡大。城を奪い返される前に武田家と同盟中の仁科家に従属して、武田と同盟関係にして西を固めた後、東の岩櫃城を狙う。大河ドラマでは「岩櫃城」が真田の根城として登場し、真田昌幸が要害の地である岩櫃に来るように武田勝頼に進言していたが、その岩櫃城だ。岩櫃城は規模8で補給路も山道という難城である。なお、補給路は4種類あり、山道だと城攻めがしにくくなる。




 1553年、1年以上の攻城戦の末、岩櫃城は陥落した。その間に主家の仁科家が滅んだことで自動的に独立。主家滅亡による独立は同盟関係は解消されず、武田と同盟関係を維持したままの独立となった。旧吾妻斎藤家、旧村上家の捕虜(砥石攻めで確保)、仁科家から流れてきた人材を確保して武将数は6人になり、同盟関係の武田家を背にしつつ、上野攻略を目指す。


 1554年、30万石。上野に進出を継続。乱立する弱小勢力を攻めて領土を切り取る。この時、越後長尾家(のちの上杉家)から不戦同盟の申し出があったので受諾。山内上杉とも不戦同盟締結。水が低きに流れるが如く、近場に自分よりも弱い大名にどんどん雪崩れこんでいく。そして、真田家は北関東に領土を持つ一地方大名となった。



 1555年、40万石。東の蘆名家とも不戦同盟を結ぶが、即時破棄される。この蘆名家は氏家城で南北に分断される形になっており、蘆名の主力は南側に分断されていた。下総結城家は蘆名と不戦同盟中で何が起こったのだろうか分からないが、南側の孤立した蘆名勢を包囲殲滅し、当主を含めた10名を捕虜にする。蘆名は30万石に転落し、真田は飛躍。同時に北条100万石が南から迫ってきた。


 1556年、60万石。北条から同盟の申し出があり、受諾。真田家が大きくなったことにより、北条家は対立するよりも同盟関係を結ぶことを選んだ。この戦国史ではAIは石高だけを見て強きに阿り弱気を挫く外交をしてくるので、60万石もの大名になるとあちらから不戦同盟を申し込んできてくれるので助かる。周辺勢力の中で最も弱小であった結城家との不戦同盟関係を破棄し、隣接領地に一斉に侵攻した。同盟で油断していた結城家の領地のほとんどは真田の色で塗りつぶされた。



 1557年までに真田家は100万石の大大名になった。北関東に拠点を持ち、北条家と伍する大大名である。これ以降はAIに任せても天下統一しそうなので、AIに全操作を一任して時間を進めた。


 長い闘いの末、ゲームEND。包囲網イベントの発生によりだいぶ長引いたが、やはり最後には真田が戦国を統一することになった。

 まとめ。真田家はプレイ難易度としてはかなり難易度が高い方に分類されるが、今回、難なく統一できたのは以下のことが大きい。第一に、長尾、北条などの強力な大名があちらから不戦を申し出てきたことが大きかった。巨大勢力とは不戦するには莫大な資金が必要だが、それを払う必要が無かったことで大きな節約ができた。
 第二に、北関東に進出してからは上手いこと地元勢力が争っており、侵略がスムーズに進んだ。北関東はそこそこ豊かな土地であるので、ここの侵略がスムーズに行ったことが統一にだいぶ有利に働いた。特に、蘆名家はなぜか南北に分断されていて、彼らと対立することになった際に上手く蘆名の主力を包囲殲滅できた。

 余談だが、「自分が接する敵領の石高総計>自領の石高」になると、相手がてんで従属、臣従してくれなくなる。隣接の大名とは不戦同盟を結びまくり、宿敵とは国境を接しないことが、戦国史では重要なテクニックとなる。

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