2018年2月21日

アズールレーンの卒業、ガチャの魅力。


 あれほどハマっていたアズールレーン。なんとなく自然にプレイしなくなっていた。








 プレイしなくなった理由はFallout4に熱中しすぎたせいで一時期全くスマホゲーをしなくなったこともあるが、他の原因として「ガチャをしなくなったこと」も大きな原因だろう、と思う。
 
 アズールレーンには、2種類のガチャがある。1つは、いわゆる艦娘をガチャる、艦船のガチャだ。この艦船のガチャをしなくなったのは、フッドなどの欲しかったSSRはあらかた手に入れてしまったからだ。アズールレーンはレアカードの排出率が高いことで知られていて、これがハマった大きな要因になった一方で、手に入れた後のプレイを減速させることになってしまった。
 
 もう1つは、装備のガチャだ。艦娘に装備させる装備品をステージクリアなどで獲得できる箱を使ってガチャるのだが、これをあるイベントを境に一切やらなくなってしまった。そのイベントとは、「明石入手イベント」である。

 イベントを進めて、装備のガチャをしなくなったとは、どういうことか。明石入手イベントは中盤で「装備ガチャを5回、10回する」というクエストがある。それに使う装備箱はなかなかレアで入手しづらい。そのため、そのクエストの存在を知った私は将来に備えて装備箱を貯めて装備ガチャを控えるようになった。

 それだけなら、まぁよくありがちなことだが、明石入手イベントは「デイリーを14回達成する」、つまり都合2週間かかるクエストなど、そこに至るまでが長すぎた。そして、その期間、何のガチャもせずにただ義務的にデイリーをこなすだけになった。

 すると、どうもプレイする気というのが失せてくる。マンネリ化して、Steamで見かけたゲームなど他の魅力的なゲームに目移りしてくる。結局、何か継続できるのが数か月ほどの飽き性な私の性格も相まって、数週間のうちに私はアズールレーンをプレイしなくなってしまった。

 改めて思うのだが、「ガチャをしなくなったら、ゲームをしなくなった」ということが起きるぐらい、ガチャというのは言いしれない「人間を魅了する魔力」があるように思う。実際に、その魔力に取りつかれた人はネット上でけっこう見る。

 ごく最近にも、みじんこちんこ、とかそんな名前の亜美真美が好きなお絵描きマンが真美限定SSRを手に入れるためのガチャで9万円溶かしたり、別のFGOお絵描きマンがFGOで藤乃というキャラクターを手に入れるためのガチャで6万円溶かしたりと、そういった行動を取るのを見た。彼らもガチャの魔力に取りつかれたのだろう。

 ガチャにはそういう人を魅了するパワーがある。いや、逆にガチャに魅了されてしまうような習性が人間にはある。どこかで読んだ話だが、人間を含めた一部の動物は安定した報酬よりも不安定な報酬に熱中する習性があるらしい。

 サルの話になってしまうが、押すと100%エサ(報酬)が出てくるボタンがあっても、つまり確定報酬が得られるボタンがあっても、サルはそれを押すことに熱中しない。腹が減ったら必要に応じて押し、必要が無かったら押さない、それだけだ。

 一方で、押すと一定の確率でエサ(報酬)が出てくるボタン、つまりガチャボタンがあると一転、ボタンを押すことに囚われ、狂ったように(サルだからサルのように)ボタンを押すようになってしまうそうだ。

 この行動は快楽計算に反するに一見思える。ガチャよりも確定報酬のボタンの方が1回の行動で得られる「報酬」は大きいわけで、どちらに熱中するなら確実な100%に熱中するのが、自然に思える。

 しかし、実際のところ、「100%のボタンの方が報酬が多いだろう」というのは誤りで、物理的な「報酬」としては100%のボタンが優っているが、動物が主観で感じる「報酬」としては10%のボタンの方がむしろ大きくなるそうだ。

 なぜそうなってしまうのかというと、「動物は報酬を期待すると、報酬を実際に受け取ったときと同程度の快楽を感じる」という習性が関係している。ヒトもそうだが、報酬を得られるかもしれないと感じたとき、自動的にドーパミンがでて、快楽が生じるそうだ。パブロフの犬が有名で、あの犬はエサの合図であるベルでよだれを垂れ流したが、同じようにヒトもガチャというエサの合図で、脳内快楽物質というよだれを垂れ流すのだろう。

 そうすると、ガチャは確定報酬に快楽の面で勝る。100%の確定報酬は1回得たら終わりだが、ガチャは期待する限りにおいて、期待する瞬間しゅんかんに快楽をどんどん与えてくる。これによってガチャに熱中してしまうわけだ。

 さっき出した真美限定SSRで9万円溶かした人、藤乃で6万円溶かした人は、ガチャなんてまったくやらない人にとっては異常な行動を採っているように見えるが、そうしたガチャの快楽を考えると合点がいく。彼らの脳は100連、200連、300連…と引くあいだ、期待した瞬間しゅんかんに何十回も脳内快楽物質という報酬を受け取ったに違いない。目に見える結果としては電子データのカード1枚であっても、その過程でのガチャでは想像できる数十倍の快楽を与えられているのだから、ハマってしまったら仕方ない。そんな気がする。

 どうしてヒトはこのように進化したのか(もし、聖書やコーランを信じているなら、「どうして、神は人をこのように造りたもうたのか」)と嘆きたくなるが、少し考えを巡らせば、なるほど合理的だ。

 もし、ヒトがガチャでなく確定報酬にのめりこむ動物であったら、不安定な物事への挑戦からの驚くべきイノベーションは生まれてこなかっただろうし、もし、ヒトの男性であるならば、右手を股間に伸ばしてそこにある棒をこすることで本能的な確定報酬ボーナスを得る行為に、今以上に没頭していただろう。

 さて、深夜のテンションでぶちまけたらよく分からなくなってきたのでここまでにする。

 ともかく、アズールレーンよ、さようなら。また逢う日まで。たぶんいつか戻ってきます。






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