2016年12月19日

Psycho-pass(サイコパス) 雑感



・Psycho-pass(78)
・Psycho-pass 2(72)
・Psycho-pass 劇場版(70)

雑感とは何か。雑(な)感(想)。雑なので、矛盾したことを言ったり、変なことを言ったり、関係ないことを言ったします。



・序

 Psycho-pass(以下、サイコパス)を知ったのは、ツイッターだったと思う。自分はツイッターに入り浸っている人間なので、当然その時々のアニメの情報はTLで目に入ってくるわけで、サイコパスもそんなアニメの一つだった。当時は暴力ちゃん(@okumuratorucc)がサイコパスに関してツイートしていたと記憶しているし、知る人ぞ知るかっすぃーさん(@sushisaimu)もサイコパスに言及していて、しかもその女主人公の常守朱のアイコンとヘッダーを長いこと使っていた、と記憶している。

 そして、流れてくるサイコパスの情報の中で、自分が興味を惹かれたのは「虚淵玄、脚本」という部分だった。虚淵玄はオタク界隈では有名な人らしく、自分は見たことが無いが「魔法少女まどか☆マギカ」のシナリオライターとして知られている。シナリオや脚本はどういう形態の作品でも中核を成す部分なので、他で名の知れた人がストーリーを作っているのなら見てみたいな、と漠然と思った。それについては三谷幸喜脚本ということで視聴を決めた真田丸と同じである。

 しかし、サイコパスを知った放送当時は、なんとそのアニメを見なかった。というのも、自分は深夜アニメを継続視聴する習慣がない。デレステを始めるより以前の頃に、「アイマスのアニメだ」ということで見始めたデレステアニメですら、ツイッターでやんのやんの言いながら、実のところ途中で見るのを辞めてしまった口であり、本家アニマスでもろくに見ておらず断片情報しかない回があるぐらい継続性が無い人間なのである。なんだかんだ途中中断を挟みつつ続いているのは、最初はヲチ目的で始めたツイッターぐらいなものだ。

 脱線したが、ともかくその時はサイコパスを見なかった。2012年のことである。翌年も見なかった。2014年、サイコパス2期が始まった。それでも見なかった。翌年、劇場版が公開された。一部のオタクたちがそれを話題にした。かっすぃーさんがヘッダーを劇場版の常守朱音にした。それでも見なかった。観る気が湧いてきただの、もうそろそろ観るだろうなどと言った。それでも、結局見ることはなかった。

 それが、誰もサイコパスのことなど口にしなくなった、そんな2016年になって初めて、しかも末も近い11月になって、やっと見る気になった。何故だろうか、と考えてみると、PCのHDを大容量のものに買い替え、色々とデータを整理するなどして、心機一転して新しいことに手掛けだしたことが、大きかったのだろう。「そういえば、見るといって積み残している本やアニメが、まだあるな」と。それで、見るなら一気に見る性格なので、一週間ぐらい使って、一気見したわけである。


・男性向けの世界、女性向けのキャラ



 サイコパスを視聴してまず気づいたのは、キャラクター設定がやけに「女性向け」である、ということだった。いや、女性でないから最近の女性向けのコンテンツに触れたのは「ファタモルガーナの館」ぐらいで詳しいわけではないのだが、やけに女性向けだと感じた。

 例えば、女主人公で逆ハーレム状態であること。女主人公は、男向けのものでも据えられることが多い。男は女が好きだからだ。しかし、それは女だらけの状況に女主人公として置かれるのが一般的で、男だらけの中に女性が置かれるのは、女性向け作品でしか見たことが無い。

 本作のキャラクターを見てみよう。常守朱の部下である狡噛慎也(以下、コウガミ)。コウガミはストーリーの中でかなり重要な位置づけにあるが、女主人公との絡みも多く徐々に距離が接近していく、何かミステリアスな過去とトラウマを抱えている、肉体的に強靭でそのサービスショットがある、オラオラ系と、女性向け恋愛ゲームの「メインヒーロー(攻略キャラクター)」に思える。

 朱の同僚、宜野座伸元(以下、ギノ)も、女性向けの雰囲気が漂う点では同様だ。見てください、あの風貌!もう鬼畜メガネな風貌からして、「女性向け作品のインテリメガネ枠」と言った感じだ。征陸智己(以下、マサオカさん)も「一見ダメそうだが頼れるおっさん枠」で、縢秀星(以下、カガリ)も「背の小さい実は優しいチャラ男枠」である。なんだこのわざとらしい女性向け味は!女性向け作品の攻略対象か!特に、敵役の槙島聖護(以下、マキシマ)も…いや、ここらへんでやめておこう。あと2人の女性キャラはおまけです。

 そんな「女性向け」感をサイコパスはキャラクター設定で全開に醸し出しているわけだが、これが「ホスト部」のような女性向けの学園ものの世界設定のアニメなら、話は分かる。しかし、サイコパスはディストピアもので、ど真ん中の「男性向け」の世界設定だ。「女性向けのキャラ設定」が「男性向けの世界設定」の中で行われている、この分裂がどうも気にかかる。

 今、Wikiで調べたところによると、キャラクター原案は『家庭教師ヒットマンREBORN!』というマンガを描いた「天野明」。「天野明」は名前からは男性のようだが、その性別について調べると、女性だ。女性がサイコパスのキャラ設定を考えた、世界設定とキャラ設定の毛並みの違いは、世界設定とキャラ設定の考案者の性別の違いから来ている、なるほど合点がいった。

 人気を博したわりにはサイコパスの同人誌が少ないのはそうした分裂で特定層に強くヒットしなかったためであろうなぁ、などと考えたが、キャラが女性向けであったから私がサイコパスを楽しめなかったというと、そうでもない。私はゴリゴリの女性向けキャラ設定の同人ゲー「ファタモルガーナの館」を楽しんでそれを絶賛するぐらいであり、とくに嫌悪するわけでもない。「〇〇さんイケメンで素敵」などとも思わなかったが。

 ただまぁ、気づいたので書いておいた次第。

・「痛さ」?

 そして、キャラクターにはある種の「痛さ」があった。痛さというのは、自分の羞恥心を呼び起こさせる、という意味での痛さである。ツイッターでイスラム国北大生のほわせぷが偶然にも同時期にサイコパスを見ており、この痛さについて言及しているのを見て、確かにそうだ、と大いに頷いた。彼はマキシマの言動について痛さを指摘していたが、たしかにマキシマの言動は、とにかく自分の得た知識をひけらかすタイプの痛さがあった。

クイックイッ ~ドヤ顔を添えて~

 また、私がサイコパスを見ていて好きだった雑賀譲二(以下、雑賀先生)の設定にも痛さ、もしくは雑さがあった。彼は臨床心理学の元教授で、「他人のバックボーンや真意を動作で見抜ける」。彼はその能力を使って色々と見抜くわけだが、ではなぜ見抜けたかという説明が、一切なされない。魔法のようにただ見抜いてしまう。

 昔、不連続殺人事件関係で坂口安吾だったか、三流の作家は推理小説を書くときに探偵を「魔法使い」にしてしまい、なぜその結論に至ったのかを一切説明せずに「推理」という理屈ぬきの魔法で見抜けたことにしてしまう、けしからん、といった趣旨のものを読んだことがある。まさにそれだ。サイコパスの雑賀先生は、理由もなくただ見抜いてしまう。もし、雑賀先生を頭の良いキャラクターにしたいなら、最初のシーン何なりに、何でもいいので雑賀先生が相手を見抜いた論理的な根拠を明らかにするなどして、脚本で相手を見抜く能力に対して説得力を持たせてほしかった。

 彼のメガネをクイクイッと持ち上げる癖も、雑さの表れだろう。「頭の良いキャラクター」が「頭の良い言動」をするときに、メガネをクイクイッと上げる。ドヤ顔で。なんつー安直な癖だろうか!それと、「先生と語り合うと色相が濁る」とかね。

 まぁただ、私は雑賀先生のことが大好きです。頭良いという設定と、頭が良いという扱い、その設定のはざまにある微妙なへっぽこ感がなんだか良い。大好き。心理学おしえてください、そして、何か引用しながらドヤ顔でメガネクイクイッと持ち上げてください。

 あと、ED曲も見方によっては痛い。1EDの「名前の無い怪物」は、歌詞なしでは果たして何を言っているのか分からないボーカル、現代オタク的なインストゥルーメントで、初音ミクのボーカル曲でありそうな感じの曲だ。

 しかしまぁ、この曲にしても悪いわけでなく、歌詞を調べて理解して聞きなれると、かなり良い。サビ重点で、イントロもサビが盛り上がるように作ってあるし、メインのサビが特徴的で印象的だし、ね。OP曲、ED曲はそのアニメのテーマ曲となるので、印象的なのはGOODだ。

 その他にも、ちょっと痛い部分や雑な部分は散見された。しかし、映画やアニメを見慣れた自分にとって、そうした要素は「ご都合」「お約束」として流してしまうし、無意識のうちに流してしまって気付かないもんだ。そういう雑さにいちいち目くじらを立てるような、そういうオタク的感性は無い。

・「社会は正しい」と信じきることができる選良、常守朱

1話の常守。最初は声質がガルパン秋山殿っぽい。

 また思うところがあったのが、常守朱の性質だ。

 常守朱は、システムに選ばれたエリートで、「どんなことがあっても、それを精神を濁さずに乗り越えられる」という特質を持っている。サイコパスの世界では、「精神的ショックを受けると『犯罪係数(=サイコパスで、システムが判定する精神状態を表す係数)』があがり、あがり過ぎると処刑対象になる」という前提があるのだが、彼女はその犯罪係数が上がりにくく、しかも回復しやすいのだ。目の前で友人が殺す事件に遭遇しても、過去のトラウマを機械で強制的に脳内で再生させられても、普通の人なら犯罪係数が上がって処刑対象になるところを、彼女は危険な数値まで犯罪係数が上がることが無いし、一晩でもあれば回復してしまう。それこそが、彼女の特徴であり性格であるわけだ。

 では、彼女のそういう性格はどこから来ているのか。その理由は明らかにされていないので推測だが、それは彼女が圧倒的なポジティブ思考の持ち主であることに加え、「社会を守ることの正しさ」「法と秩序の正しさ」を信じて疑わない人間からだ。だから、彼女は社会秩序に反することを考えないし、それゆえに犯罪係数が上がりにくい。個人の爆発的な感情は、社会の法と秩序の正しさに比べれば、些細で取るに足らないものだと信じている。犯罪係数とは、サイコパスを運用しているシステムが社会秩序を乱そうとする人間を検知するためのものだから、社会秩序を乱すことを考えない常守朱は、その数値が低くなる。第二部で常守朱は「理想の市民のモデル」としてシステムから認知されたが、まさに「社会的に正しい人」のモデルのような人物と言える。

 こういう「社会的に正しい人」というのは、現実の世の中にも不完全ながら存在する。例えば、このブログを作るときになぜかアイコンにすることに決めたオバマ大統領もその一人であろうと思う。黒人という出自でありながら「Yes,We can」というポジティブ全開の思考で逆境を跳ね返す、理想主義的ではなく妥協を重ねて社会を改善していこうとする、あくまでも表面的なイメージだが、社会的正しさを感じる。

 また、冒頭で「かっすぃーさん」が常守朱アイコンだったという話をしたが、アイコンがそうだっただけに、彼のこともどうしても思い出さざるを得ない。この人にも私は社会的正しさがある人だったと思う。中東を旅することが趣味の人でシリアの現状には心を痛めていたという点や、赤十字に定期的に結構な額を寄付していたという点もそうだ。彼は思想的にリベラル寄りだったので、相互フォローだった頃、私(フォロスト)のツイートには彼にとって不愉快なものが多かったと思うが、それでも相互フォローを外すときはブロック→ブロック解除という穏当な方法を用いて、不愉快な人にも気配りする姿勢を見せ、社会的な正しさを感じた。

 ちなみに、ツイッターで不愉快な人を見かけたときの基本的な反応は、ブロックだ。歴史クラスタの思想がリベラルの相互フォロー人がいたが、半年ぐらい前、ある問題についてその人の思想とは反する意見を垂れ流していたが故に、相互フォローを外されたことがある。その時、彼が取った方法は無論ブロックだったし、ブロックが普通のツイッターの世界でわざわざブロックしない、というのは結構な配慮である。

 さて、そういう「社会的に正しい人」は基本的に歓迎されるもので、また歓迎されるべきものだが、社会不適合者の自分はその存在を完全肯定できず、心に何とも言えないしこり、引っかかるものを感じてしまう。

選良銃を取りて、社会不適合者を殺す。

 常森朱はエリートだ。監視官に採用される前から、職業適性の試験で社会から「おまえは正しい」と判定されてエリートへの道を用意された。そして、監視官というその世界でトップエリートの職を与えられた。職権として、執行官という社会不適合者を部下として使役する権限を与えられ、執行対象者という社会的に正しくない人々を、社会的に正しい自分の裁量で自由に殺すことのできる権限を与えられた。

 そんな彼女が、社会的に正しく振る舞っていると、なんというかもやっとした心持ちを心の片隅に持ってしまう。「いや、お前にとって社会は圧倒的に正しいもんだろうさ、お前にとってはな」と毒づきたくなる。社会に正しいと認められているがゆえに社会の正しさを疑わない。そんな王道を往くエリートへの、下層民としてのほんの些細な反感か。革命があった日には戯れに処刑台に送ってやろう。
 
 あとは、無信仰者の信仰者への羨望、という側面も1ミリぐらいはあるかもしれない。われわれ無信仰者は、宗教者のようには神を信じていないし、無神論者を名乗りながら現代的な社会の正しさを無垢に信じている人々のようには社会を神としてあがめてもいない。常守朱もストーリー内でいくつか疑問を抱くけれども、社会秩序を守ることの正しさは1ミリも疑わない。

 そういう疑わざる信仰者は、たまにいる。かっすぃーさんは理系でキリスト教徒だったが、彼を思い出すと外見的特徴が似ている大学で知り合ったヤマモトを思い出す。ヤマモトは理系で新興宗教(キリスト教系)の信者だったが、宗教を信じて疑わない。おそらくその信念ゆえに優秀であり、研究室で仲間外れにされようが、研究成果が否定されようが、留学で孤独になろうが、たいていの逆境にも負けずに次の選択肢を模索して強く生きていける。

 そういう信仰者への、無信仰者への羨望のような、そんなものが心の奥底にある。そして、そういう得体のしれないものをくすぐられる。自分でも書き散らしている間に訳が分からなくなってきたので、この辺にしておこう。

11話の「ドミネーターで裁けません!」のシーンは、
涙を流していて、それはもうかわいかったです。
何だかんだ言ったが、少々思いを馳せるところはあったものの、常守朱には悪い感情はさして抱かなかった。それは、アニメだからだ。キャラクターのかわいさ、などとそういう文脈で回収することができるから、「朱ちゃんかわいい!けなげ!すてき!」と素直にかわいさを楽しむことができた。かわいさ100に、悪感情0.01ぐらいだ。

 ただし、もしこのアニメが男主人公の女ハーレムだったらどうか。エリートの男が社会不適合者をぶっ殺していくストーリーだったらどうか。自分はその文脈で回収できずに、悪感情0.01が嫌悪を感じるレベルに増幅されて、主人公に圧倒的な反感を覚えていただろう。

・人生初エロゲを思い出す

 それと、「犯罪係数」というものに、自分が人生で初めて体験したエロゲである「Cross † Channel」を少し思い出した。そのエロゲの世界は、精神障害者の精神疾患の危険度が数値化されている世界で、酷ければ酷いほど「群青色」と呼ばれる世界だ。サイコパスの、精神の危険度が数値化されていて、その度合いが酷いほど「色相が濁る」と呼ばれている世界と、若干似ているところを感じた。C†Cでは、群青色の人物は収容施設に叩き込まれる、サイコパスでは収容施設か処刑。

 まぁ、流石にほぼ無関係なので、そんだけ。


・まとめ?

 さて、まとまりのない文章だったが、終わりなく増大していくエントロピー(乱雑さ)を収束させるためにも、ここらでキリを付けたい。「雑感」をキリなく並べ立てていれば、本当にキリがない。


 本題。自分はサイコパスの視聴でどれくらいの満足度を感じ、それを反映してどれだけの点数をつけるのが相当と感じているか。

 サイコパス1期。78点。期待でわくわくしながら視聴して、それを最後まで継続できたので高めの評価。サイコパスのシステムの正体などは、まぁさほど斬新と思えるものでもなかったが、それでもサイコパス世界の全貌がストーリーの進展とともに明かされていくのはワクワクどきどきしたし、マキシマのテロがどういう結末を迎えるかなど、キャラクターやストーリーをおおいに楽しんだ。過去に攻殻機動隊などを楽しんできた事情もあって、そういう世界設定は受け入れやすいものであるし、好きでもある。なによりもずっと視聴するのを温存してきたタイトルで、ずっと謎だったあの作品の中身がやっと分かったんだからな!

 ただし、攻殻機動隊などの過去の作品を凌駕するぐらいの大作だったかというと、疑問が残る。キャラ設定や雑さや、あといろいろ。



 
 サイコパス2期、72点。コウガミくんは去り、ギノは降格され、シモツキさん、トウゴウさんなどが仲間入り。キャラクターの魅力だけを判断すると、ちょっと1期よりも劣るかな。元モデラーのコミュ障男子ヒナカワなどは、なかなかキャラクターが立っていてよかったが、シモツキさんが個人的にはなぁ~。

いつもこんな感じの顔で悪口を言っているイメージ。

 霜月美佳。優等生の悪い銀行マン、もしくは悪い官僚のようなキャラクター。新人の監視官だが、成長して「らしく」なった上司の常守朱に事あるごとに反抗し、彼女が反逆的思想の持主だと上司に報告して蹴落として出世しようとする。そのくせ、職務に責任を持っているかというとそうでもなく、自己の保身と責任回避が第一の優先事項。決断力にかけ、責任を負いたくないばかりに、すべきことをせずに大量に死者を出してしまう。嫌われ役、凡人としての朱やギノの引き立て役、のようなキャラクター。

 私を嫌ってください、といわんばかりのキャラクター、制作サイドの意図を感じる悪い子なのだが、しかし、何よりも気になるのが彼女の名前。「霜月美佳」。うん、そういうような名前の優等生が中学校の同級生にいたんですよ!それが過去を思い出させる、何でこんな名前なんだ、お前は!他のキャラクターみたいに現実に存在しえないような妙な名前でいいじゃないか!改名しろ改名!(言いがかり)

リョナ月さん。いいぞ。

 しかし、視聴する前から気になっていた髪を引っ張られるシーンや、「私、社会のことが好きですから!」と叫ぶシーンは、嫌われ美佳にしかできなかったと思う。そのシーンはカタルシスが得られてよかった、ハナマル。

 それと、別の新キャラで「常守朱の色相を濁らせることはできるか?」という興味深いテーマで露骨に画策していた人物がいたが、彼の存在と陰謀はあまり盛り上がるものでなかった。なぜなら、最初から無理だ、という結末が見えているから。濁るわけないだろ。

 朱の祖母がボコボコにされるためだけに出てきたが、常守朱は祖母がボコボコにされようが、その実況動画を見せられようが、常守朱は考え方を変えない。そんなことで「社会が悪い、社会のルールを無視してでも行動しよう」とは思わないことを、1期を見てきた視聴者は何よりも知っている。ありきたりの方法で得られた当たり前の結果を見せられてもね。テーマは良いのだが、「酷いことをすれば、精神状態悪化して狂うだろう」、という安易で結果の見えた発想が稚拙だった。研究テーマは良いが実験方法が悪かったので、減点。

 2期で出てきた新キャラが、1期で去った旧キャラよりもキャラとして良かったかというとそうでもなく、その点は1期よりも劣っていたか。

 それと、「WC?」だけで「What Colour?」の意味だと察して間違いなくその意味だと確信することのできる主人公たちはエスパーすぎる、等とも思ったが、そういう雑さはお約束だと呑みこんだ。

 さて、2期の視聴全体を通して、1期よりもカタルシスが得られたか。新鮮さが薄れた分、1期よりもかなり劣る。これは2期の完成度が云々、という話ではない。OPやらEDやらの作画等の点に関しては1期よりも優れていた。それでも劣るのは、単純に話が視聴者の予想を超えて広がらなかったのと、それよりもやはり新鮮さの不足がある。サイコパス1期は0からのスタートの分、新鮮さがあったが、2期は1期の終わりからのスタートだからね。それでも、サイコパスの続編としては一定の価値があった。「成長した朱ちゃん」「メガネクイクイッ先生 第2期」を見ることが出来て良かったと思うよ。



 サイコパス劇場版。70点。海外編。映画だからコウガミを再利用してきたか、という感じ。マキシマも再利用されていた。

 何よりも心を踊らされたのが途中で登場したメカたち。傭兵が反政府ゲリラの拠点を襲うシーンで、傭兵の人たちの乗っていたメカがシュパーっと滑りながら移動するメカがやたらかっこいいこと。そして、わざとらしいインテリ屈強黒人!う~ん男のコだ。序盤のテロリストとの戦闘シーンも気合が入っていて、良く、アクションシーン、メカなどの造形、作画はさすがは映画だ、という高いクオリティだと感心した。

 他に、銃などの小火器、跳弾音などの効果音面がちょっとチープだったのが少し気になった。う~ん、洋ゲーをやっていたり、洋画を見たことがあるとどうもチープに思える。

 ストーリーは…添え物かな?マキシマやコウガミの登場は、ファンへのサービスか。まぁ、海外編ということで、サイコパスが好きな人は見ればいいし、そうでない人は見なければいい、という代物だね。



 書き散らしました。以上、閉廷!


了。

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